忍者ブログ


[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


[ 2025/07/17 11:56 | ]
盛りを過ぎてもきれいな才尾の一本桜
盛りを過ぎてもきれいな才尾の一本桜
2010年4月5日(月)
東横イン小倉南口を9:20(0km)に出発。
福岡県豊前市の道の駅豊前(ぶぜん)おこしかけに到着10:51(41.7km)。
おこしかけという名前は、天皇がおすわりにでもなったのかなと思ったら、、神功皇后が腰掛けた石があったからとのこと。
神功皇后って何天皇の皇后かなと思ったけれど、まあいいや。

ここで、才尾の一本桜の場所を教わり、車で出発11:17。
途中で何回か道を尋ねたが、皆が口をそろえたように「残念ねえ、もうおわっちゃたよ」と言いながら教えて下さった。
土地の人はもっときれいな才尾の一本桜を見て欲しかったのですね、きっと。

そのときは、あまり期待できないなあと思ったものです。

駐車場もなく、牧場のふもとのレストランの前の小さな空き地に車を留めて11:30(47.6km)、細い道を歩いて登っていった。
途中で道を教わったご婦人は、畑仕事をなさっていたが、うんざりした様子で不機嫌そうに、教えてくださったのには、申し訳ないけど、おかしくなってしまった。

私達の前にも散々道を聞かれて、お金がもらえるわけでもないのに、教えるのはもういやになっておられたのでしょうね。
気持わかります。ごめんなさい、ありがとう。


道の駅・豊前おこしかけ↓       才尾の一本桜↓          牧場↓
          
写真をクリックすると拡大します。

急に開けたと思ったら、広々と広がる若草の牧場に、他に木がないのに、一本の大きな桜の木があったのです。北海道の美瑛を思わせる風景。
期待していなかったのに、もう桜は3割ぐらいしか残っていなかったのに、美しかった。来て良かったです。
写真に撮ると満開のようですね。

才尾の一本桜は、樹齢が約100年のヤマザクラで、高さ約10メートル、幹の周りが約4.5メートルもあるのだそうです。古賀牧場という個人のものとのこと。


今度はきっと満開のときに来よう。

PR

[ 2010/05/30 21:37 | Comments(0) | TrackBack() | 旅日記 ]
小倉城の桜
小倉城の桜 2010年4月4日(日)
東横インにチェックインして車を置いて、小倉の街で常盤橋を見て、通って、目指す小倉城へ。

バンザーイ、桜はまだきれいだった。満開をほんのちょっと過ぎたところで、まだまだ充分きれいだった。ただ夕方で、お日様がかげってしまったのは少し残念。

お腹が空いたので、お城公園を出て、ふぐを食べようと歩いていたら、「無法松の碑」があった。

あの映画で有名な「無法松の一生」の舞台はここ福岡県小倉(現在の北九州市)だったのだ。知らなかった。

荒くれ者で評判だった人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先、急病死した陸軍軍人・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流をえがいた作品(ウィキペディアより抜粋)だが、未亡人への無法松のプラトニックラブがすてきだったのを覚えている。

現代では、ありえない愛かも知れない。
無法松の碑のそばに咲いていた桜がなんとも可憐で、未亡人・良子を思わせた


小倉城↓                 公園内の桜↓             無法松の碑↓

[ 2010/05/29 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | 旅日記 ]
小倉の市街見物
小倉の市街見物
2010年4月4日(日)
はるばる群馬から車できたので、なまった足をほぐそうと、まだ、まだ明るい小倉の市街を歩いてみた。

小倉城の桜がまだ咲いているかもしれないと期待しながら、お城の方向へ歩いていくと、すばらしい木造の橋があった。まだかなり新しい感じだが、時代劇にでてきそうな橋なのだ。

たもとの北九州市の看板に、この橋(常盤橋)の由来が書いてあった。

抜粋要約すると、「この橋は江戸時代大橋と呼ばれていて、参勤交代の大名や奉行をはじめ、多くの人々がこの橋をわたっていた。有名なのはドイツ人医師シーボルトもこの橋を銅版画で紹介している。
海と陸の玄関口として、九州の各街道すべてがこの橋につらなり、九州における日本橋になっていた。
川幅を広げるため、江戸時代の姿・木の橋としてよみがえることとなりました。」
と書いてある。

鎖国をしていた日本の江戸時代に、こんな精巧な橋があったのかと、日本古来の技術力の高さに恐れ入っった。


北九州市の看板↓           現在の常盤橋↓         紫川べりの高層建築↓
       
写真をクリックすると拡大できます。


木の橋がよみがえったとあるから、以前は木の橋ではなかったのかと思い、北九州市のホームページに行った。

以下抜粋だが、以前の橋がどうだったかについては書かれていなかった。
どなたかお分かりのかたはコメントくださいね。

平成7年に紫川マイタウン・マイリバー整備事業のひとつとして、江戸時代と同じ「木の橋」に生まれ変わりました。橋げたには、コンクリートと同じ強さを持つ木(ボンゴシ材:西アフリカ産)が、そして欄干には手触りのよいチーク材など、天然木が使われています。
(北九州市ホームページより)

橋がかかっている川は紫川というしゃれた名前なのですね。

(真ん中の写真は、現在の常盤橋 室町二丁目、元気ナースが撮った写真です)

小倉は北九州市第二の都市というだけあって、見ごたえのある建物が多いです。
元気ナースの旅日記・東北旅行へ  元気ナースの旅日記・関西旅行へ ブログ元気元気トップへ

[ 2010/05/28 12:00 | Comments(0) | TrackBack() | 旅日記 ]



<< 前のページ  |  ホーム  |  次のページ >>