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[ 2024/04/28 12:13 | ]
小倉城の桜
2010年4月4日(日)
東横インにチェックインして車を置いて、小倉の街で常盤橋を見て、通って、目指す小倉城へ。
バンザーイ、桜はまだきれいだった。満開をほんのちょっと過ぎたところで、まだまだ充分きれいだった。ただ夕方で、お日様がかげってしまったのは少し残念。
お腹が空いたので、お城公園を出て、ふぐを食べようと歩いていたら、「無法松の碑」があった。
あの映画で有名な「無法松の一生」の舞台はここ福岡県小倉(現在の北九州市)だったのだ。知らなかった。
荒くれ者で評判だった人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先、急病死した陸軍軍人・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流をえがいた作品(ウィキペディアより抜粋)だが、未亡人への無法松のプラトニックラブがすてきだったのを覚えている。
現代では、ありえない愛かも知れない。
無法松の碑のそばに咲いていた桜がなんとも可憐で、未亡人・良子を思わせた。
小倉城↓ 公園内の桜↓ 無法松の碑↓
東横インにチェックインして車を置いて、小倉の街で常盤橋を見て、通って、目指す小倉城へ。
バンザーイ、桜はまだきれいだった。満開をほんのちょっと過ぎたところで、まだまだ充分きれいだった。ただ夕方で、お日様がかげってしまったのは少し残念。
お腹が空いたので、お城公園を出て、ふぐを食べようと歩いていたら、「無法松の碑」があった。
あの映画で有名な「無法松の一生」の舞台はここ福岡県小倉(現在の北九州市)だったのだ。知らなかった。
荒くれ者で評判だった人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先、急病死した陸軍軍人・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流をえがいた作品(ウィキペディアより抜粋)だが、未亡人への無法松のプラトニックラブがすてきだったのを覚えている。
現代では、ありえない愛かも知れない。
無法松の碑のそばに咲いていた桜がなんとも可憐で、未亡人・良子を思わせた。
小倉城↓ 公園内の桜↓ 無法松の碑↓
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