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[ 2025/05/09 21:21 | ]
日本100名城・・人吉城の相良清兵衛と弘前
2010年4月14日(水)
大崎鼻公園出発14:42(121.0km)
↓
人吉城跡着 15:57(181.0km)
写真はすべてクリックすると拡大します。
写真1.人吉城跡全景 写真2.歴史館 写真3.のぼり
写真1.人吉城跡全景
写真2.人吉城歴史館
この歴史館で、わが故郷弘前市と関係の深い、相良清兵衛(さがらせいべい)という人物のことを知り興味をもちました。
実家のある弘前市に『相良町』という場所があることを知りませんでした。
18歳で家を出たので、それまでは、家と学校の間を行き来しているだけでしたから
仕方ないでしょう。地図で調べたら、弘前市相良町は 弘前大学付属病院の建物と その両側の町でした。
そして、弘前大学医学部コミュケーションセンター隣の佐々木邸には、相良清兵衛が津軽藩主より拝領した梅の盆栽を庭に植えた梅の木があり、樹齢300年以上の名木で、弘前市の保存樹木第三号に指定されているのだそうです。
写真でみるとみごとな梅の花を咲かせています。(ブログ白いブランコより)
梅の花の季節に実家に寄って、その梅の花を是非見たいと思います。
写真4.人吉城跡の石垣1. 写真5.人吉城跡の石垣2. 写真6.人吉城跡の石垣3.
写真5.6.7.人吉城跡の石垣
みごとな石垣と建物に感激して、写真をたくさん撮りました。
桜の季節に是非もう一度来たいと思いました。
人吉城跡出発 17:03
↓
人吉IC入り口 17:09(183.8km)
↓
御船(みふね)IC出口 17:57(253.9km)高速代金1000円
↓
東横イン幸島公園(熊本)着 18:26(本日走行距離265.3km)
今回九州旅行走行距離2363.3km)
2010年4月14日(水)
大崎鼻公園出発14:42(121.0km)
↓
人吉城跡着 15:57(181.0km)
写真はすべてクリックすると拡大します。
写真1.人吉城跡全景 写真2.歴史館 写真3.のぼり
写真1.人吉城跡全景
人吉城(ひとよしじょう)は熊本県人吉市麓町にある平山城跡。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。(ウィキペディアより)
写真2.人吉城歴史館
この歴史館で、わが故郷弘前市と関係の深い、相良清兵衛(さがらせいべい)という人物のことを知り興味をもちました。
相良清兵衛とは、相良家に使えた重臣。 知略により相良家の存続の危機を救うなど、人吉藩の振興に尽くしましたが、晩年は藩政を私したとして津軽(現在の青森県)・弘前に遠流、お家は断絶となりました。 しかし教養があり文化人の清兵衛は津軽の人に慕われ、清兵衛が住んでいた所が、350年後の現在も 『相良町』(〒036-8211) と呼ばれています。 清兵衛は弘前で明暦元年(1655)に88歳で客死しています。
質素な写真室より
実家のある弘前市に『相良町』という場所があることを知りませんでした。
18歳で家を出たので、それまでは、家と学校の間を行き来しているだけでしたから
仕方ないでしょう。地図で調べたら、弘前市相良町は 弘前大学付属病院の建物と その両側の町でした。
そして、弘前大学医学部コミュケーションセンター隣の佐々木邸には、相良清兵衛が津軽藩主より拝領した梅の盆栽を庭に植えた梅の木があり、樹齢300年以上の名木で、弘前市の保存樹木第三号に指定されているのだそうです。
写真でみるとみごとな梅の花を咲かせています。(ブログ白いブランコより)
梅の花の季節に実家に寄って、その梅の花を是非見たいと思います。
写真4.人吉城跡の石垣1. 写真5.人吉城跡の石垣2. 写真6.人吉城跡の石垣3.
写真5.6.7.人吉城跡の石垣
みごとな石垣と建物に感激して、写真をたくさん撮りました。
桜の季節に是非もう一度来たいと思いました。
人吉城跡出発 17:03
↓
人吉IC入り口 17:09(183.8km)
↓
御船(みふね)IC出口 17:57(253.9km)高速代金1000円
↓
東横イン幸島公園(熊本)着 18:26(本日走行距離265.3km)
今回九州旅行走行距離2363.3km)
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