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[ 2025/05/14 03:35 | ]
日本一のオランダ橋(耶馬溪橋)
日本一のオランダ橋(耶馬溪橋
2010年4月5日(月)
才尾の一本桜に別れを告げて(12:05)本耶馬溪町(大分県中津市)の宝来軒で昼食にラーメンを食べた(12:31~12:57、63.09km)。
その後、青の洞門へ向かう途中、ステキな橋が見えたので降りてみると、耶馬溪橋との看板があった(13:00 63.8km)。

耶馬溪橋は、通称オランダ橋と呼ばれ、山国川にかかる観光・生活道路として、大正9年から12年にかけて架橋された。
長崎県に多い石積み方式であるため、通称オランダ橋とも呼ばれている。
現在わが国にこれだけの規模の石橋はなく、八連、橋長116mは共に日本一であると

書かれていた。

ラーメン屋の宝来軒↓           本耶馬溪の岩群↓      オランダ橋(耶馬渓橋)↓   
      
写真とクリックすると拡大します。

私が大好きな桜も咲いていて、なんとも美しい橋である。
橋を渡っている私を夫に撮ってもらったが、橋が大きすぎて、私の顔が小さく見える。

橋のたもとにこれまた私が大好きなカエルの親子石造があった。
その石には、むかえる、さかえる、ぶじかえる、この親子がえるは橋を渡る人々の
安全と郷土の繁栄を願っております と書かれていたが、なんともほほえましいカエル像だ。
横に回って見ると、なんと子がえるが二匹背中に乗っかっているのである。

大好きな桜と大好きなカエル。こんなことってめったにあるもんじゃあない。
うれしかったなあ。

オランダ橋の私↓            親子かえる↓             横から↓
      
写真をクリックすると拡大します。
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[ 2010/05/31 12:29 | Comments(0) | TrackBack() | 旅日記 ]
盛りを過ぎてもきれいな才尾の一本桜
盛りを過ぎてもきれいな才尾の一本桜
2010年4月5日(月)
東横イン小倉南口を9:20(0km)に出発。
福岡県豊前市の道の駅豊前(ぶぜん)おこしかけに到着10:51(41.7km)。
おこしかけという名前は、天皇がおすわりにでもなったのかなと思ったら、、神功皇后が腰掛けた石があったからとのこと。
神功皇后って何天皇の皇后かなと思ったけれど、まあいいや。

ここで、才尾の一本桜の場所を教わり、車で出発11:17。
途中で何回か道を尋ねたが、皆が口をそろえたように「残念ねえ、もうおわっちゃたよ」と言いながら教えて下さった。
土地の人はもっときれいな才尾の一本桜を見て欲しかったのですね、きっと。

そのときは、あまり期待できないなあと思ったものです。

駐車場もなく、牧場のふもとのレストランの前の小さな空き地に車を留めて11:30(47.6km)、細い道を歩いて登っていった。
途中で道を教わったご婦人は、畑仕事をなさっていたが、うんざりした様子で不機嫌そうに、教えてくださったのには、申し訳ないけど、おかしくなってしまった。

私達の前にも散々道を聞かれて、お金がもらえるわけでもないのに、教えるのはもういやになっておられたのでしょうね。
気持わかります。ごめんなさい、ありがとう。


道の駅・豊前おこしかけ↓       才尾の一本桜↓          牧場↓
          
写真をクリックすると拡大します。

急に開けたと思ったら、広々と広がる若草の牧場に、他に木がないのに、一本の大きな桜の木があったのです。北海道の美瑛を思わせる風景。
期待していなかったのに、もう桜は3割ぐらいしか残っていなかったのに、美しかった。来て良かったです。
写真に撮ると満開のようですね。

才尾の一本桜は、樹齢が約100年のヤマザクラで、高さ約10メートル、幹の周りが約4.5メートルもあるのだそうです。古賀牧場という個人のものとのこと。


今度はきっと満開のときに来よう。


[ 2010/05/30 21:37 | Comments(0) | TrackBack() | 旅日記 ]
小倉城の桜
小倉城の桜 2010年4月4日(日)
東横インにチェックインして車を置いて、小倉の街で常盤橋を見て、通って、目指す小倉城へ。

バンザーイ、桜はまだきれいだった。満開をほんのちょっと過ぎたところで、まだまだ充分きれいだった。ただ夕方で、お日様がかげってしまったのは少し残念。

お腹が空いたので、お城公園を出て、ふぐを食べようと歩いていたら、「無法松の碑」があった。

あの映画で有名な「無法松の一生」の舞台はここ福岡県小倉(現在の北九州市)だったのだ。知らなかった。

荒くれ者で評判だった人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先、急病死した陸軍軍人・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流をえがいた作品(ウィキペディアより抜粋)だが、未亡人への無法松のプラトニックラブがすてきだったのを覚えている。

現代では、ありえない愛かも知れない。
無法松の碑のそばに咲いていた桜がなんとも可憐で、未亡人・良子を思わせた


小倉城↓                 公園内の桜↓             無法松の碑↓

[ 2010/05/29 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | 旅日記 ]



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