2010年4月5日(月)
大分県中津市深耶馬溪の一目八景を出発15:20して、大分県九重町・九重温泉郷の龍門の滝に到着15:48(109.3km)。
龍門の滝の駐車場にはまだ桜が残っていた。駐車場からどれぐらい歩いたか忘れてしまったが、それほど遠くなかったと思う。
目の前に開けた滝はすばらしかった。以前、写真では見たことがあったけれど、やはり実際にみなくちゃスケールも、雰囲気も分からないものだ。
九重温泉郷の看板↓ 龍門の滝の駐車場↓ 龍門の滝↓
写真をクリックすると拡大できます。
龍門の滝の前に一本の桜が咲き残っていたのがなんともうれしい。
やはり桜はいいなあ。

九重町観光協会のホームページより龍門の滝の説明を抜粋しておく。
溶岩台地を磨くような落差20m、幅 40mの滝。2段になって落下、下段では滝すべりを楽しむことができ、夏には滝の音に負けない子供達のはしゃぎ声が響く。鎌倉時代に宋からの渡来した僧・蘭渓道隆禅師が河南府の竜門の滝に似ていると命名した。竜門寺境内の正面からも滝を見下すことができる。国の名勝。
大分県中津市深耶馬溪の一目八景を出発15:20して、大分県九重町・九重温泉郷の龍門の滝に到着15:48(109.3km)。
龍門の滝の駐車場にはまだ桜が残っていた。駐車場からどれぐらい歩いたか忘れてしまったが、それほど遠くなかったと思う。
目の前に開けた滝はすばらしかった。以前、写真では見たことがあったけれど、やはり実際にみなくちゃスケールも、雰囲気も分からないものだ。
九重温泉郷の看板↓ 龍門の滝の駐車場↓ 龍門の滝↓
写真をクリックすると拡大できます。
龍門の滝の前に一本の桜が咲き残っていたのがなんともうれしい。
やはり桜はいいなあ。
九重町観光協会のホームページより龍門の滝の説明を抜粋しておく。
溶岩台地を磨くような落差20m、幅 40mの滝。2段になって落下、下段では滝すべりを楽しむことができ、夏には滝の音に負けない子供達のはしゃぎ声が響く。鎌倉時代に宋からの渡来した僧・蘭渓道隆禅師が河南府の竜門の滝に似ていると命名した。竜門寺境内の正面からも滝を見下すことができる。国の名勝。
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深耶馬溪と一目八景
2010年4月5日(月)
青の洞門を出発13:41して、耶馬溪ダム(大分県中津市、深耶馬溪)に到着14:02(78.5km)。
ダムはたいして大きくなかったが、下に見えた桜並木がステキだった。
ダムの近くにアイビー(つた)という名前のレンガのすてきなレストランがあったので、コーヒーブレイク、おからケーキを食べた。おからの感じはしないおいしいケーキだった。
耶馬溪ダム↓ 下に見えた桜並木↓ アイビーレストラン↓

写真をクリックすると拡大します
耶馬溪ダムを出発14:02、途中耶馬渓観光案内の小さな小屋によってみた(88.8km)
地図や見所などが出ていたと思う。
耶馬渓観光案内↓

耶馬渓観光案内を出発14:58.一目八景の道路標識があったので、降りてみた15:03(90.2km)
岩が色々あって、なかなか良かったが、曇っていたので写真がはっきりしない。
一目八景の道路標識↓ 一目八景展望台↓

一目八景の展望台からは、上には切り立った岩、下には渓谷がみえる。一カ所から観音岩・夫婦山などの8つの岩峰を眺められることから、この名が付いたとのこと。広葉樹林が多いので秋は色鮮やかな紅葉が見事らしい。今度は秋に来たいと思った。
2010年4月5日(月)
青の洞門を出発13:41して、耶馬溪ダム(大分県中津市、深耶馬溪)に到着14:02(78.5km)。
ダムはたいして大きくなかったが、下に見えた桜並木がステキだった。
ダムの近くにアイビー(つた)という名前のレンガのすてきなレストランがあったので、コーヒーブレイク、おからケーキを食べた。おからの感じはしないおいしいケーキだった。
耶馬溪ダム↓ 下に見えた桜並木↓ アイビーレストラン↓
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耶馬溪ダムを出発14:02、途中耶馬渓観光案内の小さな小屋によってみた(88.8km)
地図や見所などが出ていたと思う。
耶馬渓観光案内↓
耶馬渓観光案内を出発14:58.一目八景の道路標識があったので、降りてみた15:03(90.2km)
岩が色々あって、なかなか良かったが、曇っていたので写真がはっきりしない。
一目八景の道路標識↓ 一目八景展望台↓
一目八景の展望台からは、上には切り立った岩、下には渓谷がみえる。一カ所から観音岩・夫婦山などの8つの岩峰を眺められることから、この名が付いたとのこと。広葉樹林が多いので秋は色鮮やかな紅葉が見事らしい。今度は秋に来たいと思った。
2010年4月5日(月)
耶馬渓橋(オランダ橋)を出発13:19して、一路青の洞門へ。
大分県中津市にある道の駅耶馬トピア・青の洞門着13:25(66.0km)。
駐車場のすぐそばに、青の洞門をノミと槌だけで彫ったという禅海和尚の像があり、大好きな桜の花がまだひっそりと咲き残っていた。
青の洞門の話は有名だが、ウキピィディアから抜粋要約しておく。
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれている。
この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐の彼方に』である。
現在は、自動車を通過させるため(旧国道212号)、かなり変形しているが一部にノミの跡が残っている。地形の関係上車幅が狭く、片側交互通行が行われている。
開通後、禅海が通行人から通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われている。 1950 年(昭和25年)に耶馬日田英彦山国定公園に指定。晩秋の紅葉時期は特に観光客が多い。
禅海和尚の彫った旧道の一部が残っていて、中は暗いので写真は撮らなかったが、ノミの跡がしっかり残っていて、人間の力のすごさに感嘆した。
禅海和尚の像↓ 横から見た像↓ 禅海和尚が彫った旧道の一部↓

写真をクリックすると拡大します。
下の写真は競秀峰(きょうしゅうほう)という見事な景観だが、これが売りに出されていたのを嘆いた福沢諭吉の尽力で、保護されたとのこと。
競秀峰(きょうしゅうほう)の景観保護に尽くした福沢諭吉をたたえる石碑も建っていた。福沢旧邸保存会の記名があったので、近くに福沢諭吉の旧邸があるのだろう。
競秀峰(きょうしゅうほう)

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耶馬渓橋(オランダ橋)を出発13:19して、一路青の洞門へ。
大分県中津市にある道の駅耶馬トピア・青の洞門着13:25(66.0km)。
駐車場のすぐそばに、青の洞門をノミと槌だけで彫ったという禅海和尚の像があり、大好きな桜の花がまだひっそりと咲き残っていた。
青の洞門の話は有名だが、ウキピィディアから抜粋要約しておく。
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれている。
この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐の彼方に』である。
現在は、自動車を通過させるため(旧国道212号)、かなり変形しているが一部にノミの跡が残っている。地形の関係上車幅が狭く、片側交互通行が行われている。
開通後、禅海が通行人から通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われている。 1950 年(昭和25年)に耶馬日田英彦山国定公園に指定。晩秋の紅葉時期は特に観光客が多い。
禅海和尚の彫った旧道の一部が残っていて、中は暗いので写真は撮らなかったが、ノミの跡がしっかり残っていて、人間の力のすごさに感嘆した。
禅海和尚の像↓ 横から見た像↓ 禅海和尚が彫った旧道の一部↓
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下の写真は競秀峰(きょうしゅうほう)という見事な景観だが、これが売りに出されていたのを嘆いた福沢諭吉の尽力で、保護されたとのこと。
競秀峰(きょうしゅうほう)の景観保護に尽くした福沢諭吉をたたえる石碑も建っていた。福沢旧邸保存会の記名があったので、近くに福沢諭吉の旧邸があるのだろう。
競秀峰(きょうしゅうほう)
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